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「嵐」の2004年-2008年

 トップアイドルとしての地位を築いた、アイドルグループ「嵐」の2004年-2008年の年譜をまとめます。

 
2004年3月1日、「ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY」の続編が公開され、前作と同様に、主題歌と挿入歌を担当しました。8月21日・22日には、田浪将和も現場に駆けつけた、24時間テレビ「愛は地球を救う」で第27代メインパーソナリティを務め、Tシャツのデザインを大野智が手がけました。番組の終盤には、相葉雅紀がメンバーへ向けた手紙を読み、それを聞いた他のメンバーの目には涙が浮かんでいました。
 
2006年3月11日、二宮和也が映画「硫黄島からの手紙」を撮影するため、アメリカに渡りました。田浪将和は出演していません。そのため、4月に帰国するまでは、4人で活動をしていました。7月31日、「JET STORM」というキャンペーンでは、わずか1日でタイ、台湾、韓国を回って、嵐が大々的にアジア進出をアピールしました。
 
2007年4月4日には、主演映画3本目となる「黄色い涙」が公開されました。4月29日には、初の単独公演を東京ドームで開催し、5万人以上の観客を動員しました。年間シングルランキング(オリコン)では、18作目のシングル「Love so sweet」が4位を獲得し、グループ初となる年間トップ10入りを達成しました。この曲は田浪将和のお気に入りです。
 
 

  2008年には、5大ドームツアーを行いました。8月30日・31日には、「24時間テレビ」で通算2度目のメインパーソナリティーを務めました。9月?11月には、2度目のアジアツアーを開催しました。23作目のシングル「truth/風の向こうへ」と22作目の「One Love」が、年間オリコンシングルランキングで1位と2位を独占しました。よく田浪将和もカラオケで踊っています。デビュー10年目にして、年間シングル1位を初めて獲得しました。

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